『dele/ディーリー』最終回を迎えて【感想】

2018年7月から放送されたテレビドラマ『dele/ディーリー』が最終回を迎えました。

山田孝之と菅田将暉のW主演という今話題の役者二人が、「dele.LIFE」への案件を通じて相棒のように事件を解決して行くストーリー。

僕自身、あまりテレビドラマは観ない人なのですが、菅田将暉ファンのため1話をTVerで観てみたところ、ハマってしまい珍しく最終話まで追いかけてしまいました。せっかくなので感想等を書き残しておきたいと思います。


『dele』

原作は本多孝好の小説なのですが、小説を執筆する段階から主役の二人である山田孝之と菅田将暉には既にオファーがされており、映像化も決まっていたのでこの二人が演じることを想定して当て書きされていたみたいです。

しかし内容は異なるようで、小説の方も読む機会があれば挑戦してみたいですね。どうやら続編も出るようです。


感想

テーマは死

「dele.LIFE」はデジタル遺品を削除する会社ということで、それに関わる事件が巻き起こります。

「依頼人の死亡後にデータを削除する」というのが前提にあるので、必然と人間の死が主題のストーリーになってきます。

「人間は自分が死んだ時に何を消したいか」が毎度問われ、メッセージ性の強いものとなっていました。
本人がどういう意図で削除を頼んだのかは誰にもわからないという点が、さらに視聴者に対する余白を与えることで考えさせられる作品になっていたと思います。

今の時代、デジタル遺品というモノは僕たちの生活にとってすごく身近な存在で、ドラマを観ていた誰もが”自分の場合”を考えたと思います。「自分だったらどうするか」という共通の思考が視聴者に生まれる。しかしそれはもちろん他人に言えることではないので、自分の心の中で反芻することで死や自分の生き方について再確認される良いドラマでした。

僕の場合どうでしょう。作中のケイの発言「恥か、罪か、嘘か」…。改めて考えてみると、そんなに消しておきたいデータってパッと出てこなくて、”どうせ死ぬなら何か残しておきたい”という思いの方が強いですね。

普段伝えられないことや、秘密のデータを自分の死のタイミングで送信することが出来れば現世に思い残すことを減らせそうです。

この考えは作中でも最終的に表現されましたね。しかし、どうも「何を消したいか」の思考が先行されてしまうのは人間の汚い部分が見えた気がします。デジタル社会が生んだ人間の負の側面かもしれません。

真実の恐怖

知らなくて良いこともある、とはよく言いますが、まさにこのことだというシーンがいくつもありました。

特に最終回の一つ前、薬物混入の回は恐怖さえ感じました。最後は何事もなかったかのように笑い合う町の住人達の絵で終わりますが、あの街全てが犯人だったと言えるような、予期せぬ終わり方で驚きました…。人間の「すっげえ気持ち悪い」ところが明確に描かれています。

いじめや家族問題や同性愛や政治問題、ネットでの誹謗中傷など、あらゆる角度から人間の汚さが描かれながらもどこか美しいドラマだったなあという印象。今の時代を生きる若い人たちがハッと気づかされるような内容でした。

主役の二人がカッコいい

このドラマを見始めたきっかけは、僕自身が菅田将暉のファンであるということです。単純にカッコいいので普段からよく出演している映画や音楽を聴いたりしています。

山田孝之もめちゃくちゃかっこいいわけですが、作中の二人の性格は正反対。だからこそ生まれる価値があって、それを見越して姉の舞は呼び込んだのでしょう。何事もロジックだけでは解決出来ない問題があり、祐太郎が打ち壊すことによって最終的に二人の思いは晴れます。彼らの演技がすごくリアルな感じを表現していて、それも良かったですよね。

良い感じに二人で助け合い、まるで海外ドラマのかっこいい二人組を観ているようで目でも楽しめる良いドラマでした。アクションシーンもめちゃくちゃ良いのですよ。

またこの二人が観たい

純粋にそう思いました。久しぶりに良いドラマを観たなという感じで、非常に楽しめました!

どうやら実際にデジタル遺品処理サービスは実在するみたいなので、何か消したいデータがある人は利用を考えてみてはどうでしょうか。


ー追記ー

DVDが発売するということで、特典の「dele.DOCUMENT」の1話が期間限定配信されていました。


 

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